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 私が参加したのは、第3班の支援チームで、医療救護班、心のケアチーム、保健師チーム、災害支援ナースからなる17名のチームであります。22日の早朝、知事からの激励を受け、7時に県庁をバスで出発、約15時間をかけ仙台に到着しました。第2班からの引き継ぎを宮城県庁の災害対策本部で受け、ホテルに着いたのは午前1時ごろでありました。翌朝、6時30分に朝食をとり、8時に出発。石巻市の現地まで2時間半ほどかかりました。市内の途中から、信号の点滅が消え、泥を被った駐車場、ひっくり返った車、壊れた店舗などが目に入ってきました。しかし、石巻大橋を越えると景色はさらに激変、戦災の後のような景色で、家屋の崩壊による瓦礫、大型トラックや漁船がその間に挟まったような景色が続きました。そのような所を数キロ過ぎたところが私たちの働く目的地であります。

 石巻市立万石浦中学校、その保健室が救護所として設営され、この教室や体育館、剣道場に約1,000人の避難者が生活しております。避難所にはかろうじて電気が通じるようになり、固定電話の使用が可能になっておりましたが(携帯は通じず)、水道は出ず、トイレは、プールで汲んだバケツの水で流す状態でありました。家も車も流され、寝るところも移動する手段もなくなった人達が寄り集まったところであります。食糧は、一人1個のおにぎりの支給と聞いていましたが、2日目にはカレーライスの炊き出し、3日目には焼き芋の供給などがあった模様です。時折、雪の舞う底冷えのする避難所でありました。
大震災(中田)4
万石浦中学校

 そんな中で、朝の10時くらいから夜の8時ころまで医師2人、看護師2人、薬剤師1人、事務1人で3日間診療を行いました。患者さんは避難所や周辺から毎日100人ほど、赤ちゃんからお年寄りまで、時を切らさず来られました。発熱に咳などのかぜ症状の方がほとんどなのですが、下痢、嘔吐などの消化器症状、喘息、ストレスによる不眠などを訴える患者さんが多かったように思います。また、粉じんなどの影響による目の痛み、痒みなど目の症状の患者さんも多かったです。それに血圧の薬、糖尿病薬などの慢性疾患の薬が津波で流され、薬が無くなったのでどうしようという相談もたくさんありました。しかし、東北の人?ってがまん強いっていうか、診療の3日間全く不平不満の声を聞きませんでした。ちょっと診察を待っていただいたり、薬が足りなくなっても、静かに礼を言われ感謝を述べられる姿が印象に残りました。
大震災(中田)1
石巻市内

 深く話を聞く時間も無かったのですが、あるお爺さんが笑顔で診察をしている最中に、家が流され帰る処が無くなったと話したとたん、目に涙が溢れた時には次の言葉が出なくなってしまいました。いろんな症状の後ろに溢れそうな涙があるのを実感した瞬間であります。でも、廊下には、子どもの笑い声も時々聞こえ、支援物資が届くたびに、若者の手伝いを呼び掛けるアナウンスが入り、皆で前へ動いているのがわかりました。2日目からは自衛隊が熊の湯という簡易浴場を設営し、久しぶりの入浴に笑顔も見られ、活気のようなものも感じました。学校の先生達は、ほとんど泊まり込みの生活をされていると聞きましたが、皆さん親切で救急車対応時の連絡など大変助けていただきました。結構大変な3日間でしたが、却って避難所の人たちに元気をいただいた気がします。
大震災(中田)3
自衛隊による温泉(本文参考)

 最後に、いっしょに働かせていただいた県立中央病院の住友先生やスタッフの皆さんにも感謝いたします。たくさんの事を学ばせていただきました。このような災害時のリーダーシップの大切さ、チーム医療の大切さ、それぞれの思い、使命感が一つとなって動きだすことを再認識致しました。日本人の一人一人の思いがある限り、一歩一歩前へ進んで行くことと思います。木下病院の方々にも色々と応援していただきありがとうございました。事務の方々には、食料や水などの物資も用意していただき助かりました。

 先には、南海地震が予想されております。木下病院は、その際地域の災害支援拠点の一つになることは確実だと思います。今回の派遣が活かせるべくみんなでがんばりたいと思います。4月には木下病院から災害支援ナースの派遣があるとも聞いております。できる限りの支援、援助をお願い致します。
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